ひっそりとSixTONESについて綴りたいブログ

SixTONES、なかでも髙地くんが好きです✨

だが、情熱はあるドラマ感想【――オタクは想いをアウトプットして落ち着く生き物です】

 

 

「だが、情熱はある」を見終えて、情熱度が高いうちにと思い、パソコンを立ち上げました。

(もうすぐSPI試験があり、勉強しなくてはいけないにも関わらず余裕のオタク)

熱量が高いうちが、一番新鮮で熱いありのままの想いが紡ぐことができるものと思うとともに、オタクはアウトプットしてこそ精神を落ち着かせる生き物だと思うので、どうぞお暇な方は最後までお付き合いください。

 

 

「あー、これまた実写化の解釈の不一致の民が、一定数声をあげるやつ」

 正直、キャスティング発表を見たとき最初に率直に感じた感想が、これでした。

芸人さんの半生を実写化するのは、ジャニーズだとそもそも顔が違うし泥臭さに説得力がないし無理があるよな…と。

初めてみた感想は、どちらかといえば“大丈夫かな?と、ややマイナスよりなものでした。

 

 

 慎太郎くんは、今までも凄い良い演技をされる役者さんで、錦鯉のときだってバッチリお笑い芸人を演じていたことは頭で理解しつつも、流石に連ドラのような長い時間の縛りがあるドラマで一人の実在する人物の再現は非常に難しいものになるのではないかな…と脳裏を掠めたのです。

 

なまじ、演じる相手が現在も実在する方でなので、“演じ方”を間違えれば、一般の人からもわかりやすく酷評されるだろうなぁと。

実在する人物なので、本人を彷彿させなければその人の半生をうたっているのに、人物がまるで違うとしらけてしまう。

なにより、若林役も同じジャニーズの若林くん。

主演を2人ジャニーズに添えることで、視聴率が低ければそこを見て叩く要素も出てくるだろうし大変だろうな…と、そう思いながらもSixTONESファンなので、不安と楽しみな思いを抱いていた放送前のことでした。

 

 

 実際はじまってみると、その不安がかき消されるほどの憑依力と表現力で、役者さんってほんと凄いなぁ…とただただ感動。

こんな喋りのタイミングまで一緒って情熱があるってレベルじゃすまない、情熱がありすぎ…って脱帽しました。

一瞬でも不安なんて思ってしまってごめんね、と平謝りするレベルでございました。

 

 

 熱意と演技力、ひたむきなまでの、ガムシャラ感。

  慎太郎くんは、姿や喋り方がやまちゃんで、写真を遠目から見たら本人と思うことも多々。

 職場の方もそのそっくり加減に、私にひたすら「すごいね」と繰り返していたこともありました(笑)

 

 髙橋くんは、声や仕草が若林さんすぎて演技が凄くナチュラル。

 独白の独特の空気感が、生きている“人”を感じて感動したり(最近のドラマはめちゃくちゃ間がないので。見ている人が感情を動かす前に場面が切り替わるので…)

 

 

 その他チラシや小物、細かな部分からタイミングまで。

 中の人は熱狂的なオタクか、本当に作品に情熱をかけ、オードリーと南海キャンディーズを愛し、キャストを信頼しているからこそ作られた作品なのだな…と。

揺るぎないものを信じる人達が情熱を込めて挑んだ作品なんだなと、ただただ圧倒。

脚本から演出までひたすら細かく、端々に愛を感じました。

 

作品をとにかく愛してる!っていう熱意あるオタクのようなこだわりのある作品が、最近はちょっと消えてしまったような気がするので(アニメ業界なども)リアルタイムに、この時代に見ることができて本当に良かったです。

 

 

 

 (とても、俯瞰的な目線で見るならば、時空列の切替と場面転換は少ない手法を取ったほうが、視聴者の頭に入りやすいのかなとも思ったり。

 

漫画の手法では回想多めでも悪くはないのですが、最近のドラマを見る層はタイムパフォーマンス重視な方も多いので…――。特に中盤は中だるみしやすいドラマも多い。

1話起承転結で、進みが早いのが最近の傾向かなと。

 このだが情は、最近のドラマにしては、1シーンが長めな感じでした。

最近「爆発的ヒットは思いから生まれる」という本を読んでいたのですが、数年前も視聴率がふるわなかったものの、SNSで流行し利益収益が馬鹿にならない作品がありました。おっさんずラブ

あの作品もファンの熱さが凄かった。そのひたむきな想いが、根強いファン人気を作り上げてました。

ネットの世界も絶妙に変化を遂げているものの、歴史は似たように繰り返す傾向もあるのかもしれません。爆発的ヒットは思いから生まれるもかなりヒット作について詳しく書かれているので興味のある方は~(ステマ…笑))

 

 

 ドーム終わりで、こっからのプロモもあり鉄腕ダッシュもあって…実在する人物を演じることでプレッシャーも半端なかっただろうに、いつもファンの前では明るい末っ子!な感じの慎太郎くん。

 ストファンとして、ほんとアイドルって凄いんだなと思い驚くとともに、ドリボまでゆっくり休んでね!と労いの気持ちでいっぱいであります。

 髙橋くんの演技は初めてみましたが、その場に生きている人を表現するのがお上手でなによりその空気感と声は、もっと今後も演技を見ていたいと思う役者さんになりました。

こうして、推しって増えていくものなのですね。

 

 

“作品について”

 

―――人生って、幸せなのだろうか。

――――自分は、なにものなのだろうか。人は、なにものになることができれば、安心するのだろうか。

 

 私が、思うにそれぞれのお話の裏テーマは、この2つで、それぞれ自分にしかわからない苦悩と葛藤がリアルに垣間見れた作品で、ストファン初めキンプリファンやリトルストーン、南海キャンディーズファンなどその他諸々の視聴者の心を動かしSNSが活発に動いたのだと思います。(どこがフィクション部分だったのか逆に気になる…)

 

 

芸人だから、ただ喋っているだけで勉強している人よりえらくない。

話しているだけで楽な商売で、なんの苦労もない。そんなことは、もちろんなくて。

 

 一見、楽しそうに輝かしいものに思える人生だって、他人にはわからないそこに行き着く前に何度も葛藤があったり、苦悩もあったし努力もある。

妬みだって沢山あるし、綺麗なままの自分でもいられない。汚い自分になりたくないのになってしまうこともある。

 

綺麗だと憧れていた世界は、遠すぎて挫折したり、手に入れたと思っても理想と違う現実が待ち受けていることもある。

理想と現実は違う。

 

でも積み重ねてきた努力や葛藤は、たとえ全て他人に理解できないものであったとしても、人生の【経験】として自分の考えだったり周りに影響を及ぼすのかな…なんてしみじみ思ったり…。

 

 結局、どう生きるかどう感じ取るか、どの選択肢で満足するのかなんて人それぞれ。

一見苦しいもがきの中にいるときだって、いつだって「幸せ」だと思う人もいれば、幸せな境遇だって「幸せじゃないよ」と嘆くこともある。

人は、他人の人生にとやかくアドバイスや批判を言いたがるけど、人の人生なんてその人にしかわからない。

 

一部を切り取ってみれば、その人生は「悲劇」で「悲しい」ものかもしれないけれど、遠い未来も含めてみると案外「悲劇は試練」であって未来は「幸せ」かもしれない。

 

 

チャップリンの言葉を借りるなら、

『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』

『笑いとはすなわち、反抗精神である。』

そんな言葉を添えることができるでしょうか。

 

 

 お笑いは、年月によって、笑いの姿を変えていく。

数年前まで受けていたネタが全く笑いにならなかったり、逆に炎上したり。

まるで人生みたいに、同じものはずっと通用しない。

 

ものごとに、永遠なんてない。

そんな中で、自分を模索し、誰かを幸せにする笑いを求め続けるお笑い芸人さんやエンターテイナーって、ほんと凄い職業だなと思うし、もっと褒めたり優しく評価してもいいと思うんですけどねぇ。

 

 せっかくなので、他にも私が好きなチャップリン語録を。

『私の苦痛が、誰かが笑うきっかけになるかもしれない。

しかし、私の笑いが、誰かの苦痛のきっかけになることだけは絶対にあってはならない。』

『もともと人間の運、不運などというものは、空行く雲と同じで、結局は風次第のものに過ぎない』

『わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。

私のほしいのは大衆の喝采だ。

大衆が私の仕事を賞賛してくれたならば、それで十分だ』

『必要なのは知識でなく思いやりである。

思いやりがなければ残るのは暴力だけである。

心に愛を知らぬものだけが憎しみ合うのだ。

人生はもっと美しく、もっと素晴らしいはずだ。』

 

 

谷ショーさんが、度々問いかけていた「今幸せ」なのかどうか。

あれは、実際に前田健さんの言葉だと思うとより胸が打たれます。

元気で楽しそうに笑っている人が、ずっと元気だとは限らないし、数年後はいなくなっているかもしれない。

ツイッターで繋がっていた人も、明日には全く連絡が取れなくなるかもしれない。

そう思うと人ってなんだか、寂しくもあり愛しくもなる生き物ですね。

 

 

 人生100年世代とは言うけれど、果たしてそれが、自分にもあてはまるかといえば違う人だっている。

人生って何があるかわからないし、いつ終わるかはわからない。

 

――幸せか幸せじゃないかなんて結局は、誰かに認められるものではなくて自分で問いかけて、初めて自分の中にある幸せを噛み締めて気づかされるものだったりするのかもですね。

 

自分が「なにもの」かでありたいという気持ちと、「なにもの」かになっているのかへの不安を抱えながら、毎日を過ごしていくのかな…と。

 

 

みっちーが金田一を見てジャニーズに入ったように、

たりないふたりを見て、クリーピーナッツが歌を作ったように。

だれかが誰かの言葉で傷ついたり、安堵したり、笑ったり泣いたりするように。

 

たりなくても、なにかになりたいと思う情熱こそが、人生を決め、自分を成長させるのかもしれないですよね。

誰かの言葉が、行動が、また誰かの心を動かしたり、行動させたり。その繰り返し。

 

 

誰かの心を動かす時、また誰かの人生が変わって新しいストーリーが、またこっから始まっていくのかなとも思いました。

 

人生いつだって、こっから。どうするかも、どうあるかも、本当はどれも自分次第。

他人は所詮、どれだけ批判したところで優しい言葉を投げかけたとしても、他の人のストーリーを描くことはできない。

 

自分がなにものかは、ずっと抱えていくものかもしれないけれど、誰だってなろうと思えば誰かの「なにもの」かになれる。

その情熱こそが人生なのかなって、そんなふうに思ったドラマなのでした。