ひっそりとSixTONESについて綴りたいブログ

SixTONES、なかでも髙地くんが好きです✨

だが、しかしー徒然、髙地くん沼落ちブログ

※自分語り強めなブログです。
皆様の沼落ちブログを読んでいたら、自分も記録用に残しておきたいなという思いから、執筆しました。
文章がごちゃっとしていますが、生温かな目で頂けましたら、幸いです。

気をつけているつもりですが、ちょっと鋭い言葉を使っているかもしれません。
苦手な方はご注意を!一万文字以上あるので、疲れたら途中休憩してください(笑)

 

目次

 

 

浅い川だと思っていた。だがしかし、そこは沼だった。(はじめに)

人間、時に冒険や寄り道をし偶然見つける【もの】がある。皆様も経験はないだろうか。
いつも好んだジャンルではなく全く別の、新しいものに挑戦したり興味を抱いてしまうことが。それまで一切目に映ることのない世界がある日突然飛び込んできたことが。
私にとって、それがアイドルであり、SixTONESだった。


 まず最初に申し上げておくと、私は元々野球大好き人間であり、趣味は投資とオリジナルの小説の読み、書きである(基本はBL書いてます)
いわゆる、元々界隈が違うタイプの人間である。

好きな芸能人は、(髙地くんの他には)故・野村克也と長年掲げるほど好きで、友達に「年上すぎない?」と言われても、「50、60喜んで!」と保険会社のCMのように微笑んで返すほど好きなのである。
故・野村克也通称、ノムさんの何が好きって、ツンデレなところそれから、策略家なところ、そして何より努力家なところだ。

のそっとした動きもゆるキャラっぽくて可愛い。負け組である自分を知っているから努力して研究するところも愛おしい。

ちょっと口が悪いところも人間味があって、ツボにハマっちゃう。愛妻家なのもいい。

お茶目で、厳しく時に義理人情があるところもいい。粋な血が通った日本人らしい!

 

ノムさんのキャラクターはツンデレの元祖。ツンデレの元祖は野村克也!無視と非難は我々の世界では最大のご褒美!
と、これ以上書くと髙地くん沼ブログと称しながら、ノムさん愛洗脳ブログと化してしまうので、ちょっとだけ省略するのだが、私は何より「頑張る人、努力をする人。努力は無駄ではないと口にする人」に、強い憧れと尊敬というものを抱いてしまうのだ。

 

 「不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が、最後は勝つよ。

努力に即効性はなし。でも努力は裏切らない。

その可能性がいつ開花するかは誰にもわからない。たしかなことは、努力を続けていれば必ず可能性は引き出される。そして、可能性に限界はない。」

野村監督の名言である。
私が思うに、自分を凡人だと思う人間ほど努力に憧れるものだと思う。

それは努力次第で、何も持たぬ自分が優れた人と並べる唯一の方法だと思うからだ。

あなたは、自分が誇るものや続けられることはあるだろうか?

できない自分が嫌で惨めで仕方なくて、でもプライドが捨てられなくて、逃げる勇気もなくて、悔しくてつらくて泣きたくなったことはあるだろうか。

 

正直、私は小さい頃は自分の誇るべきものがなかった。なんといっても、子供の頃、病気がちで学校を休んでばかりだった。

休んだ分、どれだけ努力したところで埋められない溝のようなものがあって、私はずっと劣等生で、早くから努力を諦めたタイプだった。
負けん気から、ずっと長年認めるのが嫌だったのだが、おそらく言葉にすると才能のない負け組であった。
努力に人一倍憧れを抱いているのに、それは幻想で、とても虚しいものだと夢を見るだけになってしまったのだ。

 


 話をアイドルに戻そう。
そんな界隈違いの私がどうしてSixTONESにたどり着いたのか。
それは職場で嵐好き・SnowMan好きな方がいて、ランチの話題になるから…とためしにYouTubeでジャにのちゃんねるを見たのがきっかけであった。

 そこで西畑くんにハマってしまい、なにわ男子にハマり色々ジャニーズのチャンネルを見始めるきっかけになったのだ。

 こうみえて私は、無類の可愛いもの好きなのである。

どれほど可愛いものが好きかというと、周りの友達はデートで勤しむ中、休日にかわいいもふもふアニマル動画で、ほぼ1日潰すほどのかわいい愛好家なのである。

自分のペットの背中を、可愛さからひたすら嗅ぎ回る変態でもあった。可愛いは正義である。

 

地雷はなく、なんでも美味しく楽しめますの雑食主義だが、基本は可愛いものが大好きなのである。

だから、かっこいいより可愛い方が、母性が働いて応援したくなるタイプだった。

したがって、最初はSixTONESも、MVかっこいいなー、ストチューブおもしろーい!ワイルド系じゃんで、川遊びのようにピチャピチャと軽く遊ぶように見ていた…つもりだった。


そう、軽く入ったつもりだったのに。気づいたら、そこは沼地だった。
深く抜け出せない恐ろしい沼だったのだーーーー。

 

SixTONESは、格好いい、しかし可愛さも共存する、

『なんか、おおきくてかわいいやつら』だったのだーーーー!!)

 

 

SixTONESが好きになった。だがしかし、最初の推しは髙地くんではなかった。

劇的にここを見て一目惚れしました!ここがかっこよくて、沼ズドン!タイプブログを期待していた方には、大変に申し訳ないのだが、私のSixTONES好きはまるで、一筋の雫を落とした川面の波紋のようにじわじわと広がるまるで麻酔のような、緩慢性の高い甘い毒のようなものであった。

気づいたら骨の髄まで毒が回って、いつの間にか手遅れになるものである。

 

たぶん入りは、You Tubeの共鳴MVくらいの時期…?

(恋マジ辺りからはしっかり追っていた。

記憶にないけど、テレビではもっと前に見ているかもしれない)

 

最初の推しは、樹くんとジェシー

理由はごく単純に、顔が好きイケメン!仕草がかっこいい!怖いの苦手だけどかっこいいという理由であった。

髙地くんのことは、視界に入ってくるなという感じで最初はぼんやりと、ああ、よくいじられているじゃん~!と思うレベルだった。視界の端にいるレベルだったのである。

ガッと足を掴まれて、沼に沈み込まされた感じではけしてなかった。

 

それが今や、彼が私の目に、誰よりもピントがあい、輝いて見えてしまうのは、SixTONESを追いかけるにつれて、彼の境遇に対する向き合い方、まっすぐなところ、他者を気遣う優しさにエンターテイナー性を感じ取ってしまったからに他ならないだろう。

 


 髙地くんを語るに忘れてはならないのは、他とは違った「境遇」である。
髙地くんは、アイドル志望で自ら応募してきた子と違い、お友達に履歴書を送られて、スクール革命の企画から選ばれた普通と違う境遇を持っている。
それまで知りもしなかった世界、それも競争社会である。

その世界に飛び込んで、苦手なこともさらけ出さないといけないというのは、どれだけ大変な蛇の道だっただろうか。

どれだけ頑張っても、周りの違いを指摘され追い付けないもどかしさを、いかほどまでに感じただろうか。


また私事になって恐縮だが、私も昔「声」の方で養成所に通っていたことがある。(今は普通のOLです)

そこで、ちょうど私が通っている時に、近年では見かけないほどびっくりするほどの大役が一般オーディションで行われ、クラスの子が合格したのだがそれはもう、裏では妬みが酷かった。人の嫌味妬みってこんな凄いのね!モロ嫌味を本人に言う人いるんだ!昭和の少女漫画みたい!と平和主義な私は驚いたほどである。

舞い降りた境遇はラッキーかもしれないが、周りは時に無情であった。


その子自体は、演劇自体を始めたのもオーディション3ヶ月前で、お世辞にも演技が上手いとは言えなかったし、声もわりと平凡な声であった。

それもあり、クラスの子だけじゃなくネットの世界でも「なんであの子が?下手なのに」という声が多く見受けられ、栄光の中のやっかみみたいなものも間近で見てとれた。輝かしい光の強ければ強い分、影は大きくなる。ありもしない噂も立てられていた。

 その体験を近くで見てきたから、余計ファンの方々が綴る髙地くんの軌道みたいなものをふと思う。

どれだけ頑張っても評価されない否定ばかりの世界の中で、もがいて、ときに自分の立ち位置がわからなくなったり、見えない将来にどうしようもない不安を感じはしなかったのかな…と。

Myojoの1万文字インタビューでも、持ち上げられたり下げられたりそれが俺の人生なんだなと語ってたところに、生々しい夢追い人の葛藤を感じさせられた。

ぐれたり辞めたくなったりしても致し方ない気もする。

 

去年のスクール革命で、3年目ですべてを投げ出したくなった髙地くんは大事MANブラザーズの「それが大事」に救われたと話していた。

 

それが大事の歌詞はこれだ。
『負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと

駄目になりそうな時それが一番大事。負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと涙みせてもいいよ、それを忘れなければ。』

 

私は努力とは、時に掛け算だと思っている。

もし、自分の才能が1でもあれば100積み上げれば1×100で100になる。

でも、もしその才能が0であったとするならば、どれだけ積み重ねても0でしかない。
努力はすべて無になって、かけていた時間は無駄になる。

 

努力しているときは、自分の才能が0であるか1であるかは、実際に自分ではわからない。だから、凡人は信じつづけるしかないのである。

おそらく1でも才能があって、努力を続ければなんとかなる、と。

 自分が何もないと思っている人間こそ、努力に未来をすがるのである。

 

 見えない未来(道)を地図なく確信を持って歩くのは、難しい。

もしかしたら、髙地くんは挫けそうな時に、「逃げ出さない、信じ抜く、涙をみせてもいい」と逃げ出す自分自身を鼓舞していた過去もあったかもしれない。

ふいにみせる弱さや葛藤もまた、彼の魅力のひとつなのかもしれない

 

人間は完璧ではない。完璧なアイドルだっていない。

人は他人に完璧を求めたり理想を押し付けたりするが、完璧であろうとするのはなにより、難しく息苦しいものである。

 

“努力を諦めた、たりない私”は若干、繊細さん(HSP)気味でもあるので、他人の目と感情というものに必要以上に敏感に感じてしまう。

 

誰かの期待に答え続けるのは、時に重みにもなる。

希望だった未来や夢は、時に自分を絶望に陥れる敵にもなる。

綺麗な夢だったそれは、時折叫んでも叫んでも、叫び足りないほど残酷な現実を映すこともある。

 

 笑って見せても傷を抱えていたり眠れない日々を送っていることだってある。人には人の数だけ苦労があり、その人の苦しみはその人だけしかわからないのである。

笑っているからと言って、けして楽しい人生を歩んでいるわけではない。

楽しそうに話している人が、実際は裏でずっと泣いているかもしれない。

他人が見せる姿は、けしてその人の“すべて”ではない。

 

できない自分が大嫌いになって、見えない未来が怖くて、それでも立ち続けなくてはいけなくて、投げ出したいと逃げ出したいと思っても逃げられず、やるべきことにパンクしそうになり、評価されず頑張っている自分が虚しくなって、こんな人生良かったのかな…って振り返る。

頑張れという言葉ですら、逃げ出せない重みになって何が正解なのか深く考えて余計迷路に迷ったように、苦しくなる。

そんな普通の人間が持つ感情をアイドルだって、持つことがあるかもしれない。(全ては勝手な妄想ではあるが…)

少なくとも私の場合は、できない自分という人間が、何よりも嫌いだった。

自分の敵は誰よりも自分であった。

 


 辞めたくてもスクール革命が終わるまで、辞めないと決心した髙地くん。

髙地くんは時折、自分に自信がない弱さも見せるが、度胸と覚悟、男気みたいな意地のようなものが垣間見えるときもある。

腹をくくる瞬間が、誰よりも潔いといえばいいのだろうか。

 

髙地くんは、ファンにいろいろな顔を見せる。何人かいるのかな?と錯覚するように。

ニコニコと笑ったり、男だったりハマ番だったり。あざとかったり計算でやっているではないかと思うくらい、可愛かったり。

(実際の髙地くんは、男らしくクールで真面目な毒舌の番長だと私は思っている…。)

 

  おそらく見る人の好み・要望に合わせ、アイドルスィッチを入れているのだろう。

 髙地くんがいると場が和む…や、北斗くんが「髙地がいないグループってどうしてるの?」という発言をよく見かけるが、髙地くんは非常にサポート能力が長けている気がする。

番組ゲストで主役にもなれるときも、目立とうとせずバランスを見ているなと思うのだ。まるで、9番キャッチャーである。けして、4番やエースではない。でも、どのエースに対しても投げやすそうな球を放っているのだ。

たとえば、SnowManとともに出ていたしゃべくり007のときも、自分よりもメンバーのサポートする発言をよくしていた。バラエティを出ても、ガヤとして声は出しているが変に目立とうとはしていなかった。

 

ジェシーが髙地くんはジャニーズで1番優しい発言をしていた雑誌があった気がするが、沼に落ちてから感じるのだ。

髙地くんはしっかり自分の意思を持っているが、他人の“願い”を強く受け入れようとするのではないか…と。優しいアイドルであろうとし続けているのではないかと。

 

髙地くんは、友人の応募でその世界に入った。

そして、ジェシーの願いからSixTONESを集めた。

彼は、日々笑顔を心がけている。それはアイドルは笑顔で優しさを分け与えるもの…とアイドルを求める ファンの願いを叶えているのにほかならないのではないか…と。

彼は他人のために、大きな決断もできてしまえる人間なのではないか…と。

 

よくSNSでファンが愚痴ったり荒れていたら、髙地くんはそれとなくブログで寄り添ったり励ますコメントをしている気がする。それも彼の優しさ故なのだろう。そんなことに気づく度にズブズブと沼が深くなっていく。

(私からしたら、そんなに見なくていいよ!ファンを甘やかさないでいいからと思うのだが。普通に、病みそうなので。私がみて、ちょっとだけTLで揉めてるな~って時も反応していたので、タレントはファンが思う以上にTwitterの反応を見ているのかもしれない…)

 

ドラえもんのしずかちゃんのパパの名言を借りるなら、

あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。 それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね

かもしれない。

 

 

「不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が、最後は勝つよ。」

「小さなことの積み重ねの先には、大きな光が待っている。人の心に最終的に残るものとは、自らが考えて導き出しこだわって取り組んだ「小さなこと」だ。

 

ノムさんの言葉ではないけれど、私は普通な人間が必死にアイドルであろうと頑張ろうとする、その姿に心が惹かれてしまうのかもしれない。

現代では努力が軽んじられ、効率化が求められがちだが、だからこそ私は努力するのが好きだと公言する人に惹かれてしまうのだ。

髙地くんはコロナ禍でも時間があったであろう時、資格を取って“自分の武器”を模索し磨いていた。そんな密かに頑張るところも沼なのである。

 

 

幸せは与えられるもの。 だが、しかしそこに幸せはあるのか。

 髙地くんは、アンパンマンのような笑顔を与えられるアイドルになりたいとTVで見たことがある。はっきりアンパンマンを公言するところ、そんなところも好きな理由のひとつである。

私はアンパンマンは、自己犠牲のヒーローだと思っている。

そこに、少年漫画のような圧倒的な強さはないし、激しさもない。

ただ穏やかな優しさがあるだけである。

 

「正義を行うときには、自分が傷つくことを覚悟しなければ行えない」


アンパンマンの作者である、やなせたかし氏自身の言葉である。
正義とは、特別なヒーローが圧倒的な力で悪を倒すというようなものではなく、普通の人が、自分が傷つくことを覚悟の上で行うもの。
だから正義を行おうとして、自分が負けることだって当然ある。
それを厭わないのが正義なのだと、やなせたかし氏は生前コメントを残していた。

 

【戦場で飢えている子どもがいたら、自分が空腹でも食べ物を分け与える。

人が川で溺れていたら、泳ぎが得意でなくても飛び込んで助ける。
ヒーローは“強いから”闘うのではなく、“弱くても”闘うのだ。

従来のヒーローのように、見た目が格好良いわけでもなく、強い技や武器を持っているわけでもなく、“アンパンチ”で正義を守る、それがアンパンマンの姿なのである】

 

【 正義とは、特別なヒーローが圧倒的な力で悪を倒すというようなものではなく、普通の人が、自分が傷つくことを覚悟の上で行うもの。】

 《震災後、ラジオで一番リクエストが多かったのが『アンパンマンのマーチ』だった》、《地震で心を閉ざしてしまった子どもが、アンパンマンのポスターを見て笑い、親が泣いた》といった話を聞くと、やなせさんは視力も聴力も失われていく中、被災地のためにペンを走らせ続けた。

自分の顔を分け与え、自己犠牲の上に正義を貫くアンパンマンは、弱くも強いやなせさんの姿そのものだったのである。

2019-08-25ORICON NEWSより

 

 

私は、リアコではないので、時折アイドルは何が楽しくてアイドルで居続けるんだろうな、と考える時がある。

学生時代はイベントも仕事で潰されるし、街中を歩けば後をつけられ、写真を撮られたり信じていた友達が刃をむけることもある。

オフの日ですら、人の目があるし普通のデートだってできない。恋愛だって難しい。

普通の人ができることができない。

ファンの歓声はたしかに嬉しいかもしれないが、その分批判の声だってある。

声のデカさの反動で、やりたいものの自由が奪われる。

正味な話、企業立ち上げや投資などでもっと早くセミリタイアもできる気もする。
だから、当初アイドルオタクではない私は、常々考えたものだ。
誰のために、なんのために存在し必要とされるものなのだろう…と。

 これは、オタクになってからわかったことなのだが、アイドルという存在はやはり誰かの支えになるのだなと思う。

地震で心を閉ざしてしまった子どもが、アンパンマンのポスターを見て笑ったように、コロナで彼らの楽しそうな姿に救われたとコメントをよく見かけた。

誰かを笑顔にするという行為は、おそらく医者でもできない行為なのである。

 

髙地くんは、よく自分は普通だと思っているフシがあるが、もしアンパンマンのようになりたいという言葉をなぞるのであれば

【 普通の自分が、傷つくことを覚悟の上で行っているもの】なのかもしれない。

 

 

日本人は共感性が強い人種である。

特に女性は、共感されることで安心感を持つ。

共感は大きく2つタイプがあり、“情動的共感”は、相手の気持ちを自分の感情のように感じるものだ。つまり相手が笑顔であれば自分も笑顔になってしまうし、悲しければ悲しくなってしまうものなのである。

義理人情の日本人は、強くその傾向が見られるようだ。それはいい意味でも悪い意味でも。

―――感情はシンクロする。感情は伝染する。

だからアイドルは“楽しいから”笑うわけではなく、“笑うと喜んでくれるファンのため”に笑うのかもしれない。楽しくなってもらいたいから。

そんなファンが居るから、アイドルはステージに立つのかもしれない。

 

友人が、髙地くんの履歴書を送っていなかったら。

アイドル髙地優吾はいなかったかもしれない…。また別の道を歩んでいたのかもしれない。

 

 自分の人生は、自分のものである。

だから、好きなものは好き!でいいし幸せを求めたっていい。

それはアイドルだってそうであるといいなと、私は思う。

沢山の人を笑顔にしている分、誰よりも幸せであればいいのになとーーー。

 

 

金はない。だが、しかしーーー、情熱はある。

ここまで長々と書いた後に気づく。

あれ、このブログ、沼落ちブログにしてはめっちゃ暗くない、情緒大丈夫?ねっとりで湿度高すぎない?湿った沼じゃない?って。

 

もっと、髙地くんのここが最高なの!みんなここいいよね~!すごーい、うえーい、ここがエモエモポイントテストに出ます!!最高最高最高!って書いたほうが、ウケが良かったし読みやすかったし楽しいものではないか…と。(今更)

 

 ということで、ここからは空気を変えて、「ここが沼だよ、髙地くん!!とにかく語りたいオタク2023」をお送りしたいと思います!!(驚きの切り替え力)

せっかく書いたから私だって、好感度がほしいのです。素直な点が私の良いところです←

 

ここまで読んでいる強者がどれだけいるかわかりませんが、(いないかもしれない)

とりあえず書きます。

ここからはとにかく明るい安村さんもびっくりするほど、明るく書きたいと思います。

もう危ないところも、すべてをさらけ出す勢いです。(安心してください、理性は効かせますよ

 

その1。そのお顔、可愛いし格好いい美人で面白い、総じて良いです。騙るルニ足らず

お目々きゅるきゅるで童顔可愛すぎる、瞳を縁取る睫毛が長くてその形がとても美しい。つけまつげなんていらないよね。少しタレ目な瞳が、優しそうな印象を与えるし、てへって笑った顔が招き猫みたいに可愛い。キュートすぎる。癒やされる。可愛いの化身!アップの表情はほんと可愛すぎで存在が罪!!なんでそんな笑顔が可愛いの。表情も動きもたまらなく可愛い。天使?エンジェル。そうかと思えばバチクソかっこよくて、激渋で男の中の男感がある。いかつい。♂である。どこをとっても格好いい。抱いてホールド・ミー!と叫びたくなるほど。きりっとした太眉毛は意思の強さを感じさせる。孤高の慣れない野良猫みたい。バイク乗っている姿なんて、もう風と遊んでいたよね。バクイケすぎだよね。この世界の覇者になれるよね。ポッケに手を突っ込んで歌っているところとか、イケメンすぎ。もはやかっこよすぎて、初恋のお兄さんだよね。歌のおにいさんになったら、全幼児のハートを奪っちゃうよね。いや、その可愛い笑顔は全マダムのハートも奪っちゃうよね。可愛いと、いかついは共存できない筈って、オタクの研究レポートが出ていたはずなのに、それを覆す貴重な存在、まさに絶滅危惧種。オタクの全精力を上げて守ってあげなきゃいけないレベル。もはや、神々が与えた最高のパーツだよね。たまに出る虚無的表情もいい。だというのにデビュー後からは色気も仲間入りし、アンニュイな表情がグッドくる。唇が官能的。セクシー。変顔も変顔で突き抜けていて面白い。美人でキレイ。女性的なきれいではなく、ニュートラルな美しさ。少年のような青年のようなその儚げな表情は、刹那的であり非常にときめきTOナイト。混じりっ気のない水のように、濁ったものがない。演技しているところもいいよね。思い出しては擦る。いつかサイコパスの役をやってほしい。普段にこにこしているキャラが、狂気的になるのって最高にいいよね。ゾクッとするよね。髙地くんのその雰囲気は、見るたびに印象が変わるので、もしかしたら髙地くんって、二次元の人だったかもしれない。いや、きっと二次元(ここまで早口)

 

 

その2スタイルがいい。横顔が良い富士額もいい。

言わずもがなスタイルがいい。その小さな顔に、スラッとした手足は絶対にモデル体型なのである。全身バランスがとても美しい。スタイル少女漫画。あの細さがいい。狂う。

ロケの髙地くんは全身映る機会が多いので、眼福である。

 

ついでに、裸になる機会が多いので、その肉体美を拝める機会も多いのだが骨格がしっかりしているところもいい。私が絵師だったらひたすら模写したいレベル。

このままロケの称号と、ジャニーズの由美かおるを目指してほしい。目指せる。

 

 横顔は一言で言えば絵画である。高い鼻梁にシャープな輪郭はどこか日本人離れしている。絵になる美人さ。ずっと見ていたい。

歌っている姿も、とても絵になる。歌声もハスキーで耳心地よい。あのどこか溶ける声って、もしかしてF分の1ゆらぎ?(多分違う)

誰かと一緒にハモると溶け込むようなその優しい声が良い。

反町隆史さんの「ポイズン」歌ってみたらきっと赤子は眠りにつく気がする。

 

 

その3ブログが可愛いし真面目。角刈りにするつかめなさもある。番長なのもいい。

毎日ブログを更新するそのマメさ。毎日続けられるのは、彼の真面目さもあるだろう。

ブログ内容は、なんていうか可愛い。たまにミラクルワールドを繰り広げているところも可愛い。顔文字も、意図が掴めない時もあるけど可愛い。時にあざとさ全開なところもたまらない。

一時期、街コンのプロになれそうなくらい街コンに通いつめ、あざとい女を見すぎた影響で女の計算した仕草判定士になれそうな私であったが、髙地くんはどこからどこまでが計算なのか天然なのか読めない。どれだけブログ読んでも掴めない。

時折くる角刈り画像が、我々に角刈りを忘れるなという暗号めいたメッセージのようで可愛い。アイドル角刈り史の発展に大きく影響を及ぼしたと思う。

もはや、なんでも可愛く思えてしまう魔法のブログである。

総合的になんかもう、可愛い

あのブログを、一杯の珈琲のように毎日求め癒やされている人もいるだろう。たぶん、提供が途切れたら精神不安になるファンも居るはずだ。

一週間くらい続けてみたら、気づいたら、ブログの“こちゆご”を違和感なく受け入れている。

 


 アイドルが仕事以外で角刈りにするその本意を知ろうとして、「角刈りについて本気出して考えてみた(BYポルノグラフィティー)」ことも正直、私自身、1度や2度ではありませんでした。答えはいつでも同じところにいきつきました。

答え・可愛いからいいや。

 

真面目な発言もあれば、ど天然発言もある。

それでいて、誰よりも男らしくバラエティを考えている。反省し向上心がある。

そこもまた、沼なのである。

 

ストチューブなどで、無邪気にはしゃいでるところとか見てしまうと、谷川俊太郎さんの「春に」を低いテノールボイスで歌いたくなってしまう。

♪このきもちはなんだろう~このきもちはなんだろう~声にならない叫びとなって、こみあげるこのきもちはなんだろ~

A。恋しさと せつなさと 心強さ(By篠原涼子

 

まだまだ語り足りないのであるがこれ以上書くと、延々と何度も同じようなことを綴ってしまい、認知症の症状が…と思われるのでここまでにしようと思います。(ここまで可愛いを使用した回数およそ20回。語彙力…!)

 

つまりは、髙地くんのどこに沼ってドボンしたのさ?って簡単にいうと、「気づいたらはまってた、恋をするつもりなんてこれっぽちもない時に限って恋はやってくる。」だなって思います。

 

多分、全部をまとめて総合的に見て、彼の“魅せるアイドル”としての人柄に足を救われ沼入りした気がします。些細なキュンポイントが溜まっての今なのです。(アイドルは見える部分だけ見れればいいと思っている派です)

 

アイドルであり続けようとする、その姿勢や葛藤。楽しさともどかしさ。そこが多分私の目が惹きつけられてしまうのでしょう。結局は憧れなのかもしれないですね。

 

野村克也さんの名言に、

どんな仕事をしていても、必ずどこかで壁にぶち当たる。そのときに、「この壁は、どうして自分の目の前に立ちはだかっているのか」「原因はどこにあるのか」と疑問を持つ。その問題意識こそが、成長につながる。

というものがあります。

 

ここまで自分は、散々努力を諦めた人間だと書いてきましたが、結局努力が好きな私はなんだかんだで、昔とは形を変えて努力をしようとしているのかもしれないです。

 

人には人の推しがいる。

その人しか見えなくなったときは、カメラのピントがあってしまった状態なのかもしれないですよね。

だから、他人と例えば価値観があわなくても、一人ひとり持っているカメラは違うわけで、そのピントがあってない状態は、なにも不思議ではないことだし、人の数だけ好きはあるものだなとつくづく思います。

 

他人との違いは悪いことではないし、他人は他人。

結局、自分は自分。

自分の人生の主人公は自分であり、他人に干渉はできない。好きなことや未来を作るのも自分自身だな…、と。

他人の好きや嫌い、感情、境遇、人生もまるっと、すべて自由にできるのは、自分だけなんです。

 

だから、自由に純粋に誰かの未来を応援できて、毎日楽しいのって思えるのってとっても幸せなことだなって最近、痛感するのです!

好きなものは好きでいい。好きなものは好きだからしょうがない

だから、私はこれからもいち、オタクとして楽しいオタクでい続けるのだなと思います。

 

 よく友達にオタクって沢山グッズ買うけどオタクってみんなお金あるの?と問われることがあります。

私は断固として、声を大にして、毎度こう返しています。

金もないが、この欲望を止める理性がないからグッズ買ってしまうんだよ…と。

そう、だから…、つまりは…

『金はない。だが、情熱はある』。―――