ひっそりとSixTONESについて綴りたいブログ

SixTONES、なかでも髙地くんが好きです✨

だが、情熱はあるドラマ感想【――オタクは想いをアウトプットして落ち着く生き物です】

 

 

「だが、情熱はある」を見終えて、情熱度が高いうちにと思い、パソコンを立ち上げました。

(もうすぐSPI試験があり、勉強しなくてはいけないにも関わらず余裕のオタク)

熱量が高いうちが、一番新鮮で熱いありのままの想いが紡ぐことができるものと思うとともに、オタクはアウトプットしてこそ精神を落ち着かせる生き物だと思うので、どうぞお暇な方は最後までお付き合いください。

 

 

「あー、これまた実写化の解釈の不一致の民が、一定数声をあげるやつ」

 正直、キャスティング発表を見たとき最初に率直に感じた感想が、これでした。

芸人さんの半生を実写化するのは、ジャニーズだとそもそも顔が違うし泥臭さに説得力がないし無理があるよな…と。

初めてみた感想は、どちらかといえば“大丈夫かな?と、ややマイナスよりなものでした。

 

 

 慎太郎くんは、今までも凄い良い演技をされる役者さんで、錦鯉のときだってバッチリお笑い芸人を演じていたことは頭で理解しつつも、流石に連ドラのような長い時間の縛りがあるドラマで一人の実在する人物の再現は非常に難しいものになるのではないかな…と脳裏を掠めたのです。

 

なまじ、演じる相手が現在も実在する方でなので、“演じ方”を間違えれば、一般の人からもわかりやすく酷評されるだろうなぁと。

実在する人物なので、本人を彷彿させなければその人の半生をうたっているのに、人物がまるで違うとしらけてしまう。

なにより、若林役も同じジャニーズの若林くん。

主演を2人ジャニーズに添えることで、視聴率が低ければそこを見て叩く要素も出てくるだろうし大変だろうな…と、そう思いながらもSixTONESファンなので、不安と楽しみな思いを抱いていた放送前のことでした。

 

 

 実際はじまってみると、その不安がかき消されるほどの憑依力と表現力で、役者さんってほんと凄いなぁ…とただただ感動。

こんな喋りのタイミングまで一緒って情熱があるってレベルじゃすまない、情熱がありすぎ…って脱帽しました。

一瞬でも不安なんて思ってしまってごめんね、と平謝りするレベルでございました。

 

 

 熱意と演技力、ひたむきなまでの、ガムシャラ感。

  慎太郎くんは、姿や喋り方がやまちゃんで、写真を遠目から見たら本人と思うことも多々。

 職場の方もそのそっくり加減に、私にひたすら「すごいね」と繰り返していたこともありました(笑)

 

 髙橋くんは、声や仕草が若林さんすぎて演技が凄くナチュラル。

 独白の独特の空気感が、生きている“人”を感じて感動したり(最近のドラマはめちゃくちゃ間がないので。見ている人が感情を動かす前に場面が切り替わるので…)

 

 

 その他チラシや小物、細かな部分からタイミングまで。

 中の人は熱狂的なオタクか、本当に作品に情熱をかけ、オードリーと南海キャンディーズを愛し、キャストを信頼しているからこそ作られた作品なのだな…と。

揺るぎないものを信じる人達が情熱を込めて挑んだ作品なんだなと、ただただ圧倒。

脚本から演出までひたすら細かく、端々に愛を感じました。

 

作品をとにかく愛してる!っていう熱意あるオタクのようなこだわりのある作品が、最近はちょっと消えてしまったような気がするので(アニメ業界なども)リアルタイムに、この時代に見ることができて本当に良かったです。

 

 

 

 (とても、俯瞰的な目線で見るならば、時空列の切替と場面転換は少ない手法を取ったほうが、視聴者の頭に入りやすいのかなとも思ったり。

 

漫画の手法では回想多めでも悪くはないのですが、最近のドラマを見る層はタイムパフォーマンス重視な方も多いので…――。特に中盤は中だるみしやすいドラマも多い。

1話起承転結で、進みが早いのが最近の傾向かなと。

 このだが情は、最近のドラマにしては、1シーンが長めな感じでした。

最近「爆発的ヒットは思いから生まれる」という本を読んでいたのですが、数年前も視聴率がふるわなかったものの、SNSで流行し利益収益が馬鹿にならない作品がありました。おっさんずラブ

あの作品もファンの熱さが凄かった。そのひたむきな想いが、根強いファン人気を作り上げてました。

ネットの世界も絶妙に変化を遂げているものの、歴史は似たように繰り返す傾向もあるのかもしれません。爆発的ヒットは思いから生まれるもかなりヒット作について詳しく書かれているので興味のある方は~(ステマ…笑))

 

 

 ドーム終わりで、こっからのプロモもあり鉄腕ダッシュもあって…実在する人物を演じることでプレッシャーも半端なかっただろうに、いつもファンの前では明るい末っ子!な感じの慎太郎くん。

 ストファンとして、ほんとアイドルって凄いんだなと思い驚くとともに、ドリボまでゆっくり休んでね!と労いの気持ちでいっぱいであります。

 髙橋くんの演技は初めてみましたが、その場に生きている人を表現するのがお上手でなによりその空気感と声は、もっと今後も演技を見ていたいと思う役者さんになりました。

こうして、推しって増えていくものなのですね。

 

 

“作品について”

 

―――人生って、幸せなのだろうか。

――――自分は、なにものなのだろうか。人は、なにものになることができれば、安心するのだろうか。

 

 私が、思うにそれぞれのお話の裏テーマは、この2つで、それぞれ自分にしかわからない苦悩と葛藤がリアルに垣間見れた作品で、ストファン初めキンプリファンやリトルストーン、南海キャンディーズファンなどその他諸々の視聴者の心を動かしSNSが活発に動いたのだと思います。(どこがフィクション部分だったのか逆に気になる…)

 

 

芸人だから、ただ喋っているだけで勉強している人よりえらくない。

話しているだけで楽な商売で、なんの苦労もない。そんなことは、もちろんなくて。

 

 一見、楽しそうに輝かしいものに思える人生だって、他人にはわからないそこに行き着く前に何度も葛藤があったり、苦悩もあったし努力もある。

妬みだって沢山あるし、綺麗なままの自分でもいられない。汚い自分になりたくないのになってしまうこともある。

 

綺麗だと憧れていた世界は、遠すぎて挫折したり、手に入れたと思っても理想と違う現実が待ち受けていることもある。

理想と現実は違う。

 

でも積み重ねてきた努力や葛藤は、たとえ全て他人に理解できないものであったとしても、人生の【経験】として自分の考えだったり周りに影響を及ぼすのかな…なんてしみじみ思ったり…。

 

 結局、どう生きるかどう感じ取るか、どの選択肢で満足するのかなんて人それぞれ。

一見苦しいもがきの中にいるときだって、いつだって「幸せ」だと思う人もいれば、幸せな境遇だって「幸せじゃないよ」と嘆くこともある。

人は、他人の人生にとやかくアドバイスや批判を言いたがるけど、人の人生なんてその人にしかわからない。

 

一部を切り取ってみれば、その人生は「悲劇」で「悲しい」ものかもしれないけれど、遠い未来も含めてみると案外「悲劇は試練」であって未来は「幸せ」かもしれない。

 

 

チャップリンの言葉を借りるなら、

『人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ』

『笑いとはすなわち、反抗精神である。』

そんな言葉を添えることができるでしょうか。

 

 

 お笑いは、年月によって、笑いの姿を変えていく。

数年前まで受けていたネタが全く笑いにならなかったり、逆に炎上したり。

まるで人生みたいに、同じものはずっと通用しない。

 

ものごとに、永遠なんてない。

そんな中で、自分を模索し、誰かを幸せにする笑いを求め続けるお笑い芸人さんやエンターテイナーって、ほんと凄い職業だなと思うし、もっと褒めたり優しく評価してもいいと思うんですけどねぇ。

 

 せっかくなので、他にも私が好きなチャップリン語録を。

『私の苦痛が、誰かが笑うきっかけになるかもしれない。

しかし、私の笑いが、誰かの苦痛のきっかけになることだけは絶対にあってはならない。』

『もともと人間の運、不運などというものは、空行く雲と同じで、結局は風次第のものに過ぎない』

『わずかの人間で決めた賞なんて、そうたいした名誉ではない。

私のほしいのは大衆の喝采だ。

大衆が私の仕事を賞賛してくれたならば、それで十分だ』

『必要なのは知識でなく思いやりである。

思いやりがなければ残るのは暴力だけである。

心に愛を知らぬものだけが憎しみ合うのだ。

人生はもっと美しく、もっと素晴らしいはずだ。』

 

 

谷ショーさんが、度々問いかけていた「今幸せ」なのかどうか。

あれは、実際に前田健さんの言葉だと思うとより胸が打たれます。

元気で楽しそうに笑っている人が、ずっと元気だとは限らないし、数年後はいなくなっているかもしれない。

ツイッターで繋がっていた人も、明日には全く連絡が取れなくなるかもしれない。

そう思うと人ってなんだか、寂しくもあり愛しくもなる生き物ですね。

 

 

 人生100年世代とは言うけれど、果たしてそれが、自分にもあてはまるかといえば違う人だっている。

人生って何があるかわからないし、いつ終わるかはわからない。

 

――幸せか幸せじゃないかなんて結局は、誰かに認められるものではなくて自分で問いかけて、初めて自分の中にある幸せを噛み締めて気づかされるものだったりするのかもですね。

 

自分が「なにもの」かでありたいという気持ちと、「なにもの」かになっているのかへの不安を抱えながら、毎日を過ごしていくのかな…と。

 

 

みっちーが金田一を見てジャニーズに入ったように、

たりないふたりを見て、クリーピーナッツが歌を作ったように。

だれかが誰かの言葉で傷ついたり、安堵したり、笑ったり泣いたりするように。

 

たりなくても、なにかになりたいと思う情熱こそが、人生を決め、自分を成長させるのかもしれないですよね。

誰かの言葉が、行動が、また誰かの心を動かしたり、行動させたり。その繰り返し。

 

 

誰かの心を動かす時、また誰かの人生が変わって新しいストーリーが、またこっから始まっていくのかなとも思いました。

 

人生いつだって、こっから。どうするかも、どうあるかも、本当はどれも自分次第。

他人は所詮、どれだけ批判したところで優しい言葉を投げかけたとしても、他の人のストーリーを描くことはできない。

 

自分がなにものかは、ずっと抱えていくものかもしれないけれど、誰だってなろうと思えば誰かの「なにもの」かになれる。

その情熱こそが人生なのかなって、そんなふうに思ったドラマなのでした。

 ノッキンオン・ロックドア1巻読み終えたので勢いのままのつぶやき。

 ノッキンオン・ロックドア【通称ノキドア】を1巻だけ購入したので、熱量がある初読のうちに自分用記録として綴ります。

軽く物語の内容にふれています。

一切ドラマまでネタバレされたくない方は、まわれ右をお願いします~。

 

 “今回は、歴史をたどる考古学者にならぬよう、珍しく事前準備したオタク”



 

 その日は、5月某日の晴れた日のことでございました。

わたくしめは、いつものように朝から仕事行きたくない病と戦っておりました。

もはや年中5月病なわたくしです。

今日も元気に行ってきます!なんて、そんな爽やかさ朝もう何年迎えてないのでしょうか。できるなら一生ゴロゴロ好きなことだけして生きていたい。

なんともまぁ、本能に忠実なオタクでありましょうか。

その日も、いつものようにお布団でゴロゴロしておりました。

SNSでとある内容を見かけるまでは。

 

 

――オシドラサタデー枠で、北斗くんと西畑くんのW主演!

 

 

刹那、目がガッと開きました。

眠気など、いつの間にかとうに消えておりました。

朝でも衝撃があると、人間眠気が一気に消えるものですね。

北斗くんのドラマ…!恋マジ以来の連ドラ…!!

 

うれしいー!たのしみまちどおしー!

目に飛び込んだ画面を勢いのままに、スマホを下スクロール。

 

そして見かけたミステリーの文字。

それもバディものでございます…。✨

 

A・I・BOー!!

 

大・好・き!

見かけた瞬間、わたくしの中で歴代のハマったミステリードラマの数々がよぎりました。

金田一、相棒、サイコメトラーエイジ、三毛猫ホームズ古畑任三郎

結構な数見ております。

(なんだかんだで日本のミステリードラマ、ぼちぼちありますよね)

 

私、ドラマで一番好きなジャンルはミステリーなのです!長時間語れるほど好きです。

恋愛ドラマより俄然、ミステリー派なのです!

(コナン好きなので、名探偵コンプしようと一時期はよく図書館通ってました)

 

 

ドラマを見て、作品に度々沼ってしまう私。

そしてーーーー、忘れもしません。

みんなのブームが去った後におきた自分の流行遅れのドラマブームの悲劇を―――。

 

 

 わたくし、全然自慢にならないのですが、だいぶ流行に疎い人間なのです。

みんなが冷めきった頃に、何故か周回遅れでブームが到来して一人、謎の熱量を発揮するタイプのオタクでして。

悲しいかな私がハマる頃には、他のみんなは別ジャンルまた新しい流行に移っておるのです。

 

どれくらいの遅さかというと、まぁ、大体皆様の流行の2~3年位の遅れでしょうか。

週刊誌だったら、漫画連載終わってるレベルであります。いわゆる夢の跡地です。

マンガだったらまだ、熱量のある方がいらっしゃるのですが、ドラマは提供がなくなり数年たつとかなり熱量がある方が少なくなります。

 

 ひとりブームが去った作品の二次創作小説とイラスト、考察サイト、ドラマ感想垢をひたすら渡り歩く。

もう動くことのない歴史(作品)を読みふける…もはや気分は考古学者です。

 

 

 例えば考察サイトで新しい発見をしたり、

たとえば俳優さんの演技がよくて語ったり

たとえば、ファンの方が描かれたドラマのイラストが凄く可愛くて、応援メッセージを送ったところで、そこに(サイトに)もう人はいないのです…。

残された文明(作品)が、当時のファンだった人の熱量を知る…。

 

 

そんなことを、かれこれ何年もそんなことを繰り返してきたので、わたくし学習しました。

 

ブームはアニメ・ドラマ放送中が一番盛り上がる…って。

特にドラマは、原作が続いていないと放送半年でクリエイターの熱量が下がってしまうって。人の流行・飽きは、ほんと早いんだぞって。



 そんなわけで今回は、歴史をたどる考古学者にならぬよう、ドラマまでの間に熱量が高まるように原作を入手しました。

 

のらなくちゃ、このビックウェーブに!

ミステリー好きだから、絶対予習しても大丈夫。

はまるから!っと自分に言い聞かせ・・・

 

購入しましたー!

 

 

Amazonポイントが溜まっていたので当初は、Amazonで買うつもりだったのですが在庫切れ。楽天でも在庫切れでした。

 

在庫切れの文字に、当初は本の帯が北斗くんと西畑くんに変わるまで待とうかなと思っていたのですが、本感想のつぶやきを見ていたら誘惑に負けて買ってしまいました。

 

理性がない本能のままにいきるオタクの代表例みたいな感じですね。

 

いわゆる、これがマーケティング心理学でいうところの、バンドワゴン効果とソーシャルプルーフであります。

バンドワゴン効果は、世間の流行りや周りの評判を判断材料にしてしまう心理”のこと。

ソーシャプルーフは自分よりも社会的証明があるものがいいと認識すること。

SNSマーケティング心理学が働いている場なんですね。

為になるマーケティング心理学はこちら→

マーケティング心理学とは?11のテクニックと活用方法を紹介 | WEB集客ラボ byGMO(GMO TECH)

 

www.tv-asahi.co.jp

原作を読んだら、イメージができあがってしまいドラマを観てもこんなんじゃない!イメージ違って、もやもやするかも…と、一抹の不安もありましたが、読んだ感じ私は大丈夫でした。(今のところ)

なんせ、主役二人のビジュアルがだいぶ原作に近い。凄い…いい。しゅき…。

 

 

 

以下公式サイトより引用。

片無 氷雨(かたなし・ひさめ)

 

探偵事務所「ノッキンオン・ロックドドア」の【不可解】専門探偵。ダイイングメッセージや現場の遺留品などから、事件の動機や理由=【WHY】を読み解くことを得意とする。相棒の御殿場倒理とは対照的に、至って常識的な性格。スーツ姿に眼鏡という無個性な外見も相まって、よく助手に間違われる。通称「地味眼鏡」。倒理とは大学時代、同じゼミに所属していた。

 

 

――

 

(ここだけの話、読解力のないオタクなので氷雨くんのキャラの“不可解”を解くのが得意というキャラクター性を理解するのに、2日かかりました。

だって、ミステリー小説の犯罪の動機なんて、S・kのイニシャル皆殺し(金田一)とか、ハンガーをぶつけられた(コナン)とか富士山の景色を台無しにされた(コナン)とか不可解すぎて解けないものが多くて…。)

 

 

1巻を読んだ感じ、氷雨くんは地味、普通、常識人。真面目だけど、少し抜けてる。

どこか裏があるような、何かを抱えている。闇がある印象を受けまして。

 

 

主役の片無氷雨くんは、西畑くんイメージとドンピシャすぎて、私との価値観の一致を感じてしまい、キャスティングした方のオタク度合いを勘ぐってしまうほど。←失礼

実写化は、見た目が違ってイメージ壊れるって叩かれる傾向がありますが、今回はそこまでじゃないでしょうか。

氷雨くんに限っては、他に俳優さん誰ができるんだろうと考えた時に、西畑くん以外にすぐに出てこなかったので…あの絶妙な身長もいい。

(私の中で西畑くんはキラキラアイドルなのに、どこか陰キャ感を感じるので…。真顔になったところとか…)

私が西畑くんのファンだったら1度は見たかっただろう役柄でもあるので、どう演じられるのか非常に楽しみであります。

(西畑くん、ちょっとだけ昔髙地くんと似たような雰囲気のときがあって、好き。)

 

 

御殿場 倒理(ごてんば・とうり)

 探偵事務所「ノッキンオン・ロックドドア」の【不可能】専門探偵。密室犯罪や衆人環視の毒殺などのトリック=【HOW】の解明を得意とする。悪魔のような巻き毛と、なぜか季節を問わず着用している黒のタートルネックが特徴。複雑怪奇な事件を好み、遺族や依頼人の前でも悪びれず嬉々とするなど、人の気持ちなどお構いなし。何かにつけて突飛かつ傍若無人な言動を繰り出す変人。

 

 

――――

北斗くんのキャラは、悪魔みたいな笑顔の巻き毛な変人キャラですね。

いや、これは人気出るだろうな…って予感がするキャラです。

変人って普通より愛される傾向があるミステリーの世界。(ミステリー小説集めたら、変人が5割くらいいそう)

 

私が学生だったら、倒理くんともう1人作中に出てくる美影くんとで人気二分化論争を友だちと起こしていたと想像が容易いレベルのいいキャラです。

奇想天外でわが道を行くキャラって、学生時代私の周りは妙にはまっていた子が多かったです。

 

原作、たまにライトノベル感があり倒理くんの台詞、癖弱めになってない?語り部分ちょっと変人スパイス足りてなくない?って少しだけ気になりますが、文章はサクサクしていて読みやすかったです。

短編集だから、1冊に沢山お話が入っていて、つい読みふけっちゃう。

 

(他ミステリーと比べて、余計な感情描写で風景描写が、短編だからやや少なめな気がしました。読みやすい分、活字オタクは欲求不満になりそうな)

 

脳内で台詞が北斗くんボイスで蘇るし、ドラマでどう演じるんだろう…って妄想が広がるので先行で見ていても充分ドラマまでのドキドキは味わえます!!

(なかなかにインパクトのある台詞を言っているシーンもあるので)

(漫画原作は、巻数出て揃えるの大変だったりするけど、小説は話数もあるしイメージも漫画ほどつきづらいのでオススメ~)

 

 

私の中のバディものあるあるで、こういう性格正反対キャラってのは最初は犬猿の仲で事件を解くにつれてどんどん仲良くなるってのがセオリーだと思うのですが

 

ノキドアは、そんな感じでもなかったんです。

1巻読む限りでは、「複雑な感情・関係性」だな、と。

推理の得意分野が違うので、お互いに助け合って謎を解くというのが基本になってます。

 

(ここだけの話、読解力のないオタクなので氷雨くんのキャラの不可解を解くのが得意というキャラクター性を理解するのに、2日かかりました。

だって、ミステリー小説の犯罪の動機なんて、S・kイニシャル皆殺し(金田一)とか、ハンガーをぶつけられた(コナン)とか富士山の景色を台無しにされた(コナン)とか不可解すぎて解けないものが多くて…。)

 

 

お互いに「相棒」と呼び合っているところや軽快な掛け合いは、読んでいて楽しい&可愛いえもい尊い

多分、関係性を深く考えたいオタクには、刺さる作品だと思ってます。

(二次創作は増えそう!)

 

 

 

 

 

 

ドラマ内容は、またドラマが始まったら重すぎる感想を綴ろうと思っているので、とりあえず先に小説買おうか迷っている方に向けて…一言!!!

 

本作のトリックは、これありなんかな?いけるか?って思う部分もないこともないですが、とりあえず私は非常に楽しめましたし、ドラマ楽しみになりましたー!

 

(キャラがなかなか特徴的なので、逆転裁判金田一が好きな人なら好きな気がします。まだ解禁されてないドラマキャストさんも非常に楽しみ。味があるキャラクターが多いです。)

 

ミステリー小説の楽しさって、作者と読者の謎のときあい、化かし合いみたいなものがありまして、アニメや実写とはまた違った楽しみ方があると思うんです。

 

視覚的にヒントが与えられない分、言葉・キーワードを拾って組み立てて、謎をとく快感。

その快感は、初見でしか味わえないものなので、活字が苦手~って方も一度試してみるのもいいかもしれません!

(作風が新しい方で、ライトノベルっぽい感じなので普段活字なれしてない人も、ゲームノベル感覚で読めるかも)

探偵同士が助け合って、どう謎を解決していくか。こうご期待。

 

とりあえず、ネタバレしない感想はここまで!

ドラマ待ち遠しいですね!!

 

 

だが、しかしー徒然、髙地くん沼落ちブログ

※自分語り強めなブログです。
皆様の沼落ちブログを読んでいたら、自分も記録用に残しておきたいなという思いから、執筆しました。
文章がごちゃっとしていますが、生温かな目で頂けましたら、幸いです。

気をつけているつもりですが、ちょっと鋭い言葉を使っているかもしれません。
苦手な方はご注意を!一万文字以上あるので、疲れたら途中休憩してください(笑)

 

目次

 

 

浅い川だと思っていた。だがしかし、そこは沼だった。(はじめに)

人間、時に冒険や寄り道をし偶然見つける【もの】がある。皆様も経験はないだろうか。
いつも好んだジャンルではなく全く別の、新しいものに挑戦したり興味を抱いてしまうことが。それまで一切目に映ることのない世界がある日突然飛び込んできたことが。
私にとって、それがアイドルであり、SixTONESだった。


 まず最初に申し上げておくと、私は元々野球大好き人間であり、趣味は投資とオリジナルの小説の読み、書きである(基本はBL書いてます)
いわゆる、元々界隈が違うタイプの人間である。

好きな芸能人は、(髙地くんの他には)故・野村克也と長年掲げるほど好きで、友達に「年上すぎない?」と言われても、「50、60喜んで!」と保険会社のCMのように微笑んで返すほど好きなのである。
故・野村克也通称、ノムさんの何が好きって、ツンデレなところそれから、策略家なところ、そして何より努力家なところだ。

のそっとした動きもゆるキャラっぽくて可愛い。負け組である自分を知っているから努力して研究するところも愛おしい。

ちょっと口が悪いところも人間味があって、ツボにハマっちゃう。愛妻家なのもいい。

お茶目で、厳しく時に義理人情があるところもいい。粋な血が通った日本人らしい!

 

ノムさんのキャラクターはツンデレの元祖。ツンデレの元祖は野村克也!無視と非難は我々の世界では最大のご褒美!
と、これ以上書くと髙地くん沼ブログと称しながら、ノムさん愛洗脳ブログと化してしまうので、ちょっとだけ省略するのだが、私は何より「頑張る人、努力をする人。努力は無駄ではないと口にする人」に、強い憧れと尊敬というものを抱いてしまうのだ。

 

 「不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が、最後は勝つよ。

努力に即効性はなし。でも努力は裏切らない。

その可能性がいつ開花するかは誰にもわからない。たしかなことは、努力を続けていれば必ず可能性は引き出される。そして、可能性に限界はない。」

野村監督の名言である。
私が思うに、自分を凡人だと思う人間ほど努力に憧れるものだと思う。

それは努力次第で、何も持たぬ自分が優れた人と並べる唯一の方法だと思うからだ。

あなたは、自分が誇るものや続けられることはあるだろうか?

できない自分が嫌で惨めで仕方なくて、でもプライドが捨てられなくて、逃げる勇気もなくて、悔しくてつらくて泣きたくなったことはあるだろうか。

 

正直、私は小さい頃は自分の誇るべきものがなかった。なんといっても、子供の頃、病気がちで学校を休んでばかりだった。

休んだ分、どれだけ努力したところで埋められない溝のようなものがあって、私はずっと劣等生で、早くから努力を諦めたタイプだった。
負けん気から、ずっと長年認めるのが嫌だったのだが、おそらく言葉にすると才能のない負け組であった。
努力に人一倍憧れを抱いているのに、それは幻想で、とても虚しいものだと夢を見るだけになってしまったのだ。

 


 話をアイドルに戻そう。
そんな界隈違いの私がどうしてSixTONESにたどり着いたのか。
それは職場で嵐好き・SnowMan好きな方がいて、ランチの話題になるから…とためしにYouTubeでジャにのちゃんねるを見たのがきっかけであった。

 そこで西畑くんにハマってしまい、なにわ男子にハマり色々ジャニーズのチャンネルを見始めるきっかけになったのだ。

 こうみえて私は、無類の可愛いもの好きなのである。

どれほど可愛いものが好きかというと、周りの友達はデートで勤しむ中、休日にかわいいもふもふアニマル動画で、ほぼ1日潰すほどのかわいい愛好家なのである。

自分のペットの背中を、可愛さからひたすら嗅ぎ回る変態でもあった。可愛いは正義である。

 

地雷はなく、なんでも美味しく楽しめますの雑食主義だが、基本は可愛いものが大好きなのである。

だから、かっこいいより可愛い方が、母性が働いて応援したくなるタイプだった。

したがって、最初はSixTONESも、MVかっこいいなー、ストチューブおもしろーい!ワイルド系じゃんで、川遊びのようにピチャピチャと軽く遊ぶように見ていた…つもりだった。


そう、軽く入ったつもりだったのに。気づいたら、そこは沼地だった。
深く抜け出せない恐ろしい沼だったのだーーーー。

 

SixTONESは、格好いい、しかし可愛さも共存する、

『なんか、おおきくてかわいいやつら』だったのだーーーー!!)

 

 

SixTONESが好きになった。だがしかし、最初の推しは髙地くんではなかった。

劇的にここを見て一目惚れしました!ここがかっこよくて、沼ズドン!タイプブログを期待していた方には、大変に申し訳ないのだが、私のSixTONES好きはまるで、一筋の雫を落とした川面の波紋のようにじわじわと広がるまるで麻酔のような、緩慢性の高い甘い毒のようなものであった。

気づいたら骨の髄まで毒が回って、いつの間にか手遅れになるものである。

 

たぶん入りは、You Tubeの共鳴MVくらいの時期…?

(恋マジ辺りからはしっかり追っていた。

記憶にないけど、テレビではもっと前に見ているかもしれない)

 

最初の推しは、樹くんとジェシー

理由はごく単純に、顔が好きイケメン!仕草がかっこいい!怖いの苦手だけどかっこいいという理由であった。

髙地くんのことは、視界に入ってくるなという感じで最初はぼんやりと、ああ、よくいじられているじゃん~!と思うレベルだった。視界の端にいるレベルだったのである。

ガッと足を掴まれて、沼に沈み込まされた感じではけしてなかった。

 

それが今や、彼が私の目に、誰よりもピントがあい、輝いて見えてしまうのは、SixTONESを追いかけるにつれて、彼の境遇に対する向き合い方、まっすぐなところ、他者を気遣う優しさにエンターテイナー性を感じ取ってしまったからに他ならないだろう。

 


 髙地くんを語るに忘れてはならないのは、他とは違った「境遇」である。
髙地くんは、アイドル志望で自ら応募してきた子と違い、お友達に履歴書を送られて、スクール革命の企画から選ばれた普通と違う境遇を持っている。
それまで知りもしなかった世界、それも競争社会である。

その世界に飛び込んで、苦手なこともさらけ出さないといけないというのは、どれだけ大変な蛇の道だっただろうか。

どれだけ頑張っても、周りの違いを指摘され追い付けないもどかしさを、いかほどまでに感じただろうか。


また私事になって恐縮だが、私も昔「声」の方で養成所に通っていたことがある。(今は普通のOLです)

そこで、ちょうど私が通っている時に、近年では見かけないほどびっくりするほどの大役が一般オーディションで行われ、クラスの子が合格したのだがそれはもう、裏では妬みが酷かった。人の嫌味妬みってこんな凄いのね!モロ嫌味を本人に言う人いるんだ!昭和の少女漫画みたい!と平和主義な私は驚いたほどである。

舞い降りた境遇はラッキーかもしれないが、周りは時に無情であった。


その子自体は、演劇自体を始めたのもオーディション3ヶ月前で、お世辞にも演技が上手いとは言えなかったし、声もわりと平凡な声であった。

それもあり、クラスの子だけじゃなくネットの世界でも「なんであの子が?下手なのに」という声が多く見受けられ、栄光の中のやっかみみたいなものも間近で見てとれた。輝かしい光の強ければ強い分、影は大きくなる。ありもしない噂も立てられていた。

 その体験を近くで見てきたから、余計ファンの方々が綴る髙地くんの軌道みたいなものをふと思う。

どれだけ頑張っても評価されない否定ばかりの世界の中で、もがいて、ときに自分の立ち位置がわからなくなったり、見えない将来にどうしようもない不安を感じはしなかったのかな…と。

Myojoの1万文字インタビューでも、持ち上げられたり下げられたりそれが俺の人生なんだなと語ってたところに、生々しい夢追い人の葛藤を感じさせられた。

ぐれたり辞めたくなったりしても致し方ない気もする。

 

去年のスクール革命で、3年目ですべてを投げ出したくなった髙地くんは大事MANブラザーズの「それが大事」に救われたと話していた。

 

それが大事の歌詞はこれだ。
『負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと

駄目になりそうな時それが一番大事。負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと涙みせてもいいよ、それを忘れなければ。』

 

私は努力とは、時に掛け算だと思っている。

もし、自分の才能が1でもあれば100積み上げれば1×100で100になる。

でも、もしその才能が0であったとするならば、どれだけ積み重ねても0でしかない。
努力はすべて無になって、かけていた時間は無駄になる。

 

努力しているときは、自分の才能が0であるか1であるかは、実際に自分ではわからない。だから、凡人は信じつづけるしかないのである。

おそらく1でも才能があって、努力を続ければなんとかなる、と。

 自分が何もないと思っている人間こそ、努力に未来をすがるのである。

 

 見えない未来(道)を地図なく確信を持って歩くのは、難しい。

もしかしたら、髙地くんは挫けそうな時に、「逃げ出さない、信じ抜く、涙をみせてもいい」と逃げ出す自分自身を鼓舞していた過去もあったかもしれない。

ふいにみせる弱さや葛藤もまた、彼の魅力のひとつなのかもしれない

 

人間は完璧ではない。完璧なアイドルだっていない。

人は他人に完璧を求めたり理想を押し付けたりするが、完璧であろうとするのはなにより、難しく息苦しいものである。

 

“努力を諦めた、たりない私”は若干、繊細さん(HSP)気味でもあるので、他人の目と感情というものに必要以上に敏感に感じてしまう。

 

誰かの期待に答え続けるのは、時に重みにもなる。

希望だった未来や夢は、時に自分を絶望に陥れる敵にもなる。

綺麗な夢だったそれは、時折叫んでも叫んでも、叫び足りないほど残酷な現実を映すこともある。

 

 笑って見せても傷を抱えていたり眠れない日々を送っていることだってある。人には人の数だけ苦労があり、その人の苦しみはその人だけしかわからないのである。

笑っているからと言って、けして楽しい人生を歩んでいるわけではない。

楽しそうに話している人が、実際は裏でずっと泣いているかもしれない。

他人が見せる姿は、けしてその人の“すべて”ではない。

 

できない自分が大嫌いになって、見えない未来が怖くて、それでも立ち続けなくてはいけなくて、投げ出したいと逃げ出したいと思っても逃げられず、やるべきことにパンクしそうになり、評価されず頑張っている自分が虚しくなって、こんな人生良かったのかな…って振り返る。

頑張れという言葉ですら、逃げ出せない重みになって何が正解なのか深く考えて余計迷路に迷ったように、苦しくなる。

そんな普通の人間が持つ感情をアイドルだって、持つことがあるかもしれない。(全ては勝手な妄想ではあるが…)

少なくとも私の場合は、できない自分という人間が、何よりも嫌いだった。

自分の敵は誰よりも自分であった。

 


 辞めたくてもスクール革命が終わるまで、辞めないと決心した髙地くん。

髙地くんは時折、自分に自信がない弱さも見せるが、度胸と覚悟、男気みたいな意地のようなものが垣間見えるときもある。

腹をくくる瞬間が、誰よりも潔いといえばいいのだろうか。

 

髙地くんは、ファンにいろいろな顔を見せる。何人かいるのかな?と錯覚するように。

ニコニコと笑ったり、男だったりハマ番だったり。あざとかったり計算でやっているではないかと思うくらい、可愛かったり。

(実際の髙地くんは、男らしくクールで真面目な毒舌の番長だと私は思っている…。)

 

  おそらく見る人の好み・要望に合わせ、アイドルスィッチを入れているのだろう。

 髙地くんがいると場が和む…や、北斗くんが「髙地がいないグループってどうしてるの?」という発言をよく見かけるが、髙地くんは非常にサポート能力が長けている気がする。

番組ゲストで主役にもなれるときも、目立とうとせずバランスを見ているなと思うのだ。まるで、9番キャッチャーである。けして、4番やエースではない。でも、どのエースに対しても投げやすそうな球を放っているのだ。

たとえば、SnowManとともに出ていたしゃべくり007のときも、自分よりもメンバーのサポートする発言をよくしていた。バラエティを出ても、ガヤとして声は出しているが変に目立とうとはしていなかった。

 

ジェシーが髙地くんはジャニーズで1番優しい発言をしていた雑誌があった気がするが、沼に落ちてから感じるのだ。

髙地くんはしっかり自分の意思を持っているが、他人の“願い”を強く受け入れようとするのではないか…と。優しいアイドルであろうとし続けているのではないかと。

 

髙地くんは、友人の応募でその世界に入った。

そして、ジェシーの願いからSixTONESを集めた。

彼は、日々笑顔を心がけている。それはアイドルは笑顔で優しさを分け与えるもの…とアイドルを求める ファンの願いを叶えているのにほかならないのではないか…と。

彼は他人のために、大きな決断もできてしまえる人間なのではないか…と。

 

よくSNSでファンが愚痴ったり荒れていたら、髙地くんはそれとなくブログで寄り添ったり励ますコメントをしている気がする。それも彼の優しさ故なのだろう。そんなことに気づく度にズブズブと沼が深くなっていく。

(私からしたら、そんなに見なくていいよ!ファンを甘やかさないでいいからと思うのだが。普通に、病みそうなので。私がみて、ちょっとだけTLで揉めてるな~って時も反応していたので、タレントはファンが思う以上にTwitterの反応を見ているのかもしれない…)

 

ドラえもんのしずかちゃんのパパの名言を借りるなら、

あの青年は人のしあわせを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。 それがいちばん人間にとってだいじなことなんだからね

かもしれない。

 

 

「不器用な人間は苦労するけど、徹してやれば器用な人間より不器用な方が、最後は勝つよ。」

「小さなことの積み重ねの先には、大きな光が待っている。人の心に最終的に残るものとは、自らが考えて導き出しこだわって取り組んだ「小さなこと」だ。

 

ノムさんの言葉ではないけれど、私は普通な人間が必死にアイドルであろうと頑張ろうとする、その姿に心が惹かれてしまうのかもしれない。

現代では努力が軽んじられ、効率化が求められがちだが、だからこそ私は努力するのが好きだと公言する人に惹かれてしまうのだ。

髙地くんはコロナ禍でも時間があったであろう時、資格を取って“自分の武器”を模索し磨いていた。そんな密かに頑張るところも沼なのである。

 

 

幸せは与えられるもの。 だが、しかしそこに幸せはあるのか。

 髙地くんは、アンパンマンのような笑顔を与えられるアイドルになりたいとTVで見たことがある。はっきりアンパンマンを公言するところ、そんなところも好きな理由のひとつである。

私はアンパンマンは、自己犠牲のヒーローだと思っている。

そこに、少年漫画のような圧倒的な強さはないし、激しさもない。

ただ穏やかな優しさがあるだけである。

 

「正義を行うときには、自分が傷つくことを覚悟しなければ行えない」


アンパンマンの作者である、やなせたかし氏自身の言葉である。
正義とは、特別なヒーローが圧倒的な力で悪を倒すというようなものではなく、普通の人が、自分が傷つくことを覚悟の上で行うもの。
だから正義を行おうとして、自分が負けることだって当然ある。
それを厭わないのが正義なのだと、やなせたかし氏は生前コメントを残していた。

 

【戦場で飢えている子どもがいたら、自分が空腹でも食べ物を分け与える。

人が川で溺れていたら、泳ぎが得意でなくても飛び込んで助ける。
ヒーローは“強いから”闘うのではなく、“弱くても”闘うのだ。

従来のヒーローのように、見た目が格好良いわけでもなく、強い技や武器を持っているわけでもなく、“アンパンチ”で正義を守る、それがアンパンマンの姿なのである】

 

【 正義とは、特別なヒーローが圧倒的な力で悪を倒すというようなものではなく、普通の人が、自分が傷つくことを覚悟の上で行うもの。】

 《震災後、ラジオで一番リクエストが多かったのが『アンパンマンのマーチ』だった》、《地震で心を閉ざしてしまった子どもが、アンパンマンのポスターを見て笑い、親が泣いた》といった話を聞くと、やなせさんは視力も聴力も失われていく中、被災地のためにペンを走らせ続けた。

自分の顔を分け与え、自己犠牲の上に正義を貫くアンパンマンは、弱くも強いやなせさんの姿そのものだったのである。

2019-08-25ORICON NEWSより

 

 

私は、リアコではないので、時折アイドルは何が楽しくてアイドルで居続けるんだろうな、と考える時がある。

学生時代はイベントも仕事で潰されるし、街中を歩けば後をつけられ、写真を撮られたり信じていた友達が刃をむけることもある。

オフの日ですら、人の目があるし普通のデートだってできない。恋愛だって難しい。

普通の人ができることができない。

ファンの歓声はたしかに嬉しいかもしれないが、その分批判の声だってある。

声のデカさの反動で、やりたいものの自由が奪われる。

正味な話、企業立ち上げや投資などでもっと早くセミリタイアもできる気もする。
だから、当初アイドルオタクではない私は、常々考えたものだ。
誰のために、なんのために存在し必要とされるものなのだろう…と。

 これは、オタクになってからわかったことなのだが、アイドルという存在はやはり誰かの支えになるのだなと思う。

地震で心を閉ざしてしまった子どもが、アンパンマンのポスターを見て笑ったように、コロナで彼らの楽しそうな姿に救われたとコメントをよく見かけた。

誰かを笑顔にするという行為は、おそらく医者でもできない行為なのである。

 

髙地くんは、よく自分は普通だと思っているフシがあるが、もしアンパンマンのようになりたいという言葉をなぞるのであれば

【 普通の自分が、傷つくことを覚悟の上で行っているもの】なのかもしれない。

 

 

日本人は共感性が強い人種である。

特に女性は、共感されることで安心感を持つ。

共感は大きく2つタイプがあり、“情動的共感”は、相手の気持ちを自分の感情のように感じるものだ。つまり相手が笑顔であれば自分も笑顔になってしまうし、悲しければ悲しくなってしまうものなのである。

義理人情の日本人は、強くその傾向が見られるようだ。それはいい意味でも悪い意味でも。

―――感情はシンクロする。感情は伝染する。

だからアイドルは“楽しいから”笑うわけではなく、“笑うと喜んでくれるファンのため”に笑うのかもしれない。楽しくなってもらいたいから。

そんなファンが居るから、アイドルはステージに立つのかもしれない。

 

友人が、髙地くんの履歴書を送っていなかったら。

アイドル髙地優吾はいなかったかもしれない…。また別の道を歩んでいたのかもしれない。

 

 自分の人生は、自分のものである。

だから、好きなものは好き!でいいし幸せを求めたっていい。

それはアイドルだってそうであるといいなと、私は思う。

沢山の人を笑顔にしている分、誰よりも幸せであればいいのになとーーー。

 

 

金はない。だが、しかしーーー、情熱はある。

ここまで長々と書いた後に気づく。

あれ、このブログ、沼落ちブログにしてはめっちゃ暗くない、情緒大丈夫?ねっとりで湿度高すぎない?湿った沼じゃない?って。

 

もっと、髙地くんのここが最高なの!みんなここいいよね~!すごーい、うえーい、ここがエモエモポイントテストに出ます!!最高最高最高!って書いたほうが、ウケが良かったし読みやすかったし楽しいものではないか…と。(今更)

 

 ということで、ここからは空気を変えて、「ここが沼だよ、髙地くん!!とにかく語りたいオタク2023」をお送りしたいと思います!!(驚きの切り替え力)

せっかく書いたから私だって、好感度がほしいのです。素直な点が私の良いところです←

 

ここまで読んでいる強者がどれだけいるかわかりませんが、(いないかもしれない)

とりあえず書きます。

ここからはとにかく明るい安村さんもびっくりするほど、明るく書きたいと思います。

もう危ないところも、すべてをさらけ出す勢いです。(安心してください、理性は効かせますよ

 

その1。そのお顔、可愛いし格好いい美人で面白い、総じて良いです。騙るルニ足らず

お目々きゅるきゅるで童顔可愛すぎる、瞳を縁取る睫毛が長くてその形がとても美しい。つけまつげなんていらないよね。少しタレ目な瞳が、優しそうな印象を与えるし、てへって笑った顔が招き猫みたいに可愛い。キュートすぎる。癒やされる。可愛いの化身!アップの表情はほんと可愛すぎで存在が罪!!なんでそんな笑顔が可愛いの。表情も動きもたまらなく可愛い。天使?エンジェル。そうかと思えばバチクソかっこよくて、激渋で男の中の男感がある。いかつい。♂である。どこをとっても格好いい。抱いてホールド・ミー!と叫びたくなるほど。きりっとした太眉毛は意思の強さを感じさせる。孤高の慣れない野良猫みたい。バイク乗っている姿なんて、もう風と遊んでいたよね。バクイケすぎだよね。この世界の覇者になれるよね。ポッケに手を突っ込んで歌っているところとか、イケメンすぎ。もはやかっこよすぎて、初恋のお兄さんだよね。歌のおにいさんになったら、全幼児のハートを奪っちゃうよね。いや、その可愛い笑顔は全マダムのハートも奪っちゃうよね。可愛いと、いかついは共存できない筈って、オタクの研究レポートが出ていたはずなのに、それを覆す貴重な存在、まさに絶滅危惧種。オタクの全精力を上げて守ってあげなきゃいけないレベル。もはや、神々が与えた最高のパーツだよね。たまに出る虚無的表情もいい。だというのにデビュー後からは色気も仲間入りし、アンニュイな表情がグッドくる。唇が官能的。セクシー。変顔も変顔で突き抜けていて面白い。美人でキレイ。女性的なきれいではなく、ニュートラルな美しさ。少年のような青年のようなその儚げな表情は、刹那的であり非常にときめきTOナイト。混じりっ気のない水のように、濁ったものがない。演技しているところもいいよね。思い出しては擦る。いつかサイコパスの役をやってほしい。普段にこにこしているキャラが、狂気的になるのって最高にいいよね。ゾクッとするよね。髙地くんのその雰囲気は、見るたびに印象が変わるので、もしかしたら髙地くんって、二次元の人だったかもしれない。いや、きっと二次元(ここまで早口)

 

 

その2スタイルがいい。横顔が良い富士額もいい。

言わずもがなスタイルがいい。その小さな顔に、スラッとした手足は絶対にモデル体型なのである。全身バランスがとても美しい。スタイル少女漫画。あの細さがいい。狂う。

ロケの髙地くんは全身映る機会が多いので、眼福である。

 

ついでに、裸になる機会が多いので、その肉体美を拝める機会も多いのだが骨格がしっかりしているところもいい。私が絵師だったらひたすら模写したいレベル。

このままロケの称号と、ジャニーズの由美かおるを目指してほしい。目指せる。

 

 横顔は一言で言えば絵画である。高い鼻梁にシャープな輪郭はどこか日本人離れしている。絵になる美人さ。ずっと見ていたい。

歌っている姿も、とても絵になる。歌声もハスキーで耳心地よい。あのどこか溶ける声って、もしかしてF分の1ゆらぎ?(多分違う)

誰かと一緒にハモると溶け込むようなその優しい声が良い。

反町隆史さんの「ポイズン」歌ってみたらきっと赤子は眠りにつく気がする。

 

 

その3ブログが可愛いし真面目。角刈りにするつかめなさもある。番長なのもいい。

毎日ブログを更新するそのマメさ。毎日続けられるのは、彼の真面目さもあるだろう。

ブログ内容は、なんていうか可愛い。たまにミラクルワールドを繰り広げているところも可愛い。顔文字も、意図が掴めない時もあるけど可愛い。時にあざとさ全開なところもたまらない。

一時期、街コンのプロになれそうなくらい街コンに通いつめ、あざとい女を見すぎた影響で女の計算した仕草判定士になれそうな私であったが、髙地くんはどこからどこまでが計算なのか天然なのか読めない。どれだけブログ読んでも掴めない。

時折くる角刈り画像が、我々に角刈りを忘れるなという暗号めいたメッセージのようで可愛い。アイドル角刈り史の発展に大きく影響を及ぼしたと思う。

もはや、なんでも可愛く思えてしまう魔法のブログである。

総合的になんかもう、可愛い

あのブログを、一杯の珈琲のように毎日求め癒やされている人もいるだろう。たぶん、提供が途切れたら精神不安になるファンも居るはずだ。

一週間くらい続けてみたら、気づいたら、ブログの“こちゆご”を違和感なく受け入れている。

 


 アイドルが仕事以外で角刈りにするその本意を知ろうとして、「角刈りについて本気出して考えてみた(BYポルノグラフィティー)」ことも正直、私自身、1度や2度ではありませんでした。答えはいつでも同じところにいきつきました。

答え・可愛いからいいや。

 

真面目な発言もあれば、ど天然発言もある。

それでいて、誰よりも男らしくバラエティを考えている。反省し向上心がある。

そこもまた、沼なのである。

 

ストチューブなどで、無邪気にはしゃいでるところとか見てしまうと、谷川俊太郎さんの「春に」を低いテノールボイスで歌いたくなってしまう。

♪このきもちはなんだろう~このきもちはなんだろう~声にならない叫びとなって、こみあげるこのきもちはなんだろ~

A。恋しさと せつなさと 心強さ(By篠原涼子

 

まだまだ語り足りないのであるがこれ以上書くと、延々と何度も同じようなことを綴ってしまい、認知症の症状が…と思われるのでここまでにしようと思います。(ここまで可愛いを使用した回数およそ20回。語彙力…!)

 

つまりは、髙地くんのどこに沼ってドボンしたのさ?って簡単にいうと、「気づいたらはまってた、恋をするつもりなんてこれっぽちもない時に限って恋はやってくる。」だなって思います。

 

多分、全部をまとめて総合的に見て、彼の“魅せるアイドル”としての人柄に足を救われ沼入りした気がします。些細なキュンポイントが溜まっての今なのです。(アイドルは見える部分だけ見れればいいと思っている派です)

 

アイドルであり続けようとする、その姿勢や葛藤。楽しさともどかしさ。そこが多分私の目が惹きつけられてしまうのでしょう。結局は憧れなのかもしれないですね。

 

野村克也さんの名言に、

どんな仕事をしていても、必ずどこかで壁にぶち当たる。そのときに、「この壁は、どうして自分の目の前に立ちはだかっているのか」「原因はどこにあるのか」と疑問を持つ。その問題意識こそが、成長につながる。

というものがあります。

 

ここまで自分は、散々努力を諦めた人間だと書いてきましたが、結局努力が好きな私はなんだかんだで、昔とは形を変えて努力をしようとしているのかもしれないです。

 

人には人の推しがいる。

その人しか見えなくなったときは、カメラのピントがあってしまった状態なのかもしれないですよね。

だから、他人と例えば価値観があわなくても、一人ひとり持っているカメラは違うわけで、そのピントがあってない状態は、なにも不思議ではないことだし、人の数だけ好きはあるものだなとつくづく思います。

 

他人との違いは悪いことではないし、他人は他人。

結局、自分は自分。

自分の人生の主人公は自分であり、他人に干渉はできない。好きなことや未来を作るのも自分自身だな…、と。

他人の好きや嫌い、感情、境遇、人生もまるっと、すべて自由にできるのは、自分だけなんです。

 

だから、自由に純粋に誰かの未来を応援できて、毎日楽しいのって思えるのってとっても幸せなことだなって最近、痛感するのです!

好きなものは好きでいい。好きなものは好きだからしょうがない

だから、私はこれからもいち、オタクとして楽しいオタクでい続けるのだなと思います。

 

 よく友達にオタクって沢山グッズ買うけどオタクってみんなお金あるの?と問われることがあります。

私は断固として、声を大にして、毎度こう返しています。

金もないが、この欲望を止める理性がないからグッズ買ってしまうんだよ…と。

そう、だから…、つまりは…

『金はない。だが、情熱はある』。―――